天沼知恵子(日本女子プロゴルファー)
公式サイト:http://chiekoamanuma.com/
【経 歴】
生年月日:1975年4月23日
出身地:静岡県御殿場市
中学時代は、バレーボール部に在籍、かたわら父・正司さんが師範免許を持つ空手に没頭していたという。腕前は二段。
1991年中学を卒業と同時に地元静岡の小田急西富士GCに入社。働きながら、ゴルフを始める。
'94年7月同ゴルフ場を退社。
その後、岐阜・瑞浪トーカイCC日本女子ゴルフ専門学校で、(故)則竹徳江、鈴木早苗の指導を受け、'96年、受験2度目にしてプロテスト合格を不動裕理らと果たす。
ツアーデビューから4年間は、ツアー統一予選会の上位通過さえままならない状況が続いたが、2000年ツアー統一予選会で25位となり、初めて半期の出場権を獲得。念願のシード入りを果たした。
翌'01年は、大きく飛躍。5月に同期の坂口希との初コンビで挑んだ、『カトキチクイーンズ』を風雨のなか4打差逆転してツアー初優勝を飾ると、7月からは怒涛の快進撃。『東洋水産レディス』での2勝目を機に、『NEC軽井沢72』『CATレディース』と、2週連続優勝など驚異的な活躍を見せた。
賞金女王争いでも、不動とデッドヒートを繰り広げ、同シーズン最多の5勝を掌中に。
その成績が評価され、報知プロスポーツ大賞受賞と、同時に御殿場市観光親善大使の任命も受け、その活動は現在も続いている。
'02年11月 シスコワールドマッチプレー1回戦ではアニカソレンスタムを“2-1" で下す大金星を挙げる。
'04年10月 米ツアーQスクールに挑戦。
'05年10月 『マスターズGCレディース』でポーラ・クリーマーとプレーオフの末、2位。
'06年5月 『廣済堂レディス』で4年7か月ぶりのツアー通算6勝目を達成。最終日には、ピンチをしのぎ70センチのバーディパットを沈めた瞬間、両手の拳を突き上げ、崩れ落ちるようにグリーンに両膝をつき号泣した姿は、多くのギャラリーの胸に深く印象付けられました。
'07年からの3シーズンは、持病の腰痛の影響もあり7年間守ったシード権を失う。
'08年オフに斉藤裕子プロに声をかけていただいたことをきっかけに、毎年オフには、宮里藍と同じピア・ニールソンとリン・マリオットの指導を受ける。
'10年4月 『西陣レディス』でプレーオフの末、2位に。同年7月『日医工女子オープン』で、2日目ラウンド中に蜂に刺されながらも、次のパー4では、セカンドが入るイーグルで波に乗り、プレーオフへ。この年、4シーズンぶりのシード復帰を決めた。
'11年7月『日医工女子オープン』2日目競技中に、腰痛を発し、その後の診察で第五腰椎分離すべり症″と判明。L5の背骨を削り取り、代わりに4本のボルトを入れるという大手術を受けなければ、日常生活も危ぶまれるという、国際福祉大学三田病院 主治医 福井康之Dr.の厳しい診断が下る。翌月8月5日考える間すらないままに、大手術を受ける。同年10月退院。
退院後、三田病院 櫻井愛子理学療法士のもと、入院中からのリハビリを通いながらも続ける。
'12年2月 マネージャーの勧めにより、樫木先生のメソッドに興味を持つ。
'12年3月 樫木先生メソッドによる、トレーニング開始。トーナメント特別保障制度の適用を受け、同年年7月 『スタンレーレディスゴルフトーナメント(東名カントリークラブ)』までに、復帰した場合に限り、欠場数と同数の試合に連続して出場できる権利を取得する。過酷なリハビリの末、前例のない驚異的な回復で2012年7月より現役復帰。現在もトーナメントツァー参戦中。
天沼プロと弊社の出会いは、モンテセラピーのモニターになって頂いたある女性の方からのご紹介でした。当時、天沼プロは腰の手術を受けたばかりで、復帰に向けてリハビリを行っている途中でした。その時は、まだ翌年の試合に出られるか分からない状態でしたので、弊社にもお役に立てる事はないかと思い、モンテセラピーをご紹介させて頂きました。さすが一流アスリートだけあって、超敏感に身体が反応されて効果が分かるとの事で、現在も御愛用を頂いております。そんな天沼プロを今後も応援し続けて行きたいと思います。
是非共、トーナメント観戦の際は、天沼プロにご声援をお願い申し上げます。